1月31日(水)は、コミュニティナース研究所グループ内イベント
”生きる”を、進化させる 探求ゼミ 01
ーコンパッションとコミュニティナーシングー
に参加しました!
コミュニティナーシングとは、
『毎日の嬉しいや楽しい』を一緒につくり心身そして社会的な健康やウェルビーイングにつなげようというもので、コンパッションとも密接に関わっている、というかまさにコンパッションの1つであると感じます。
今回は、島根県雲南市のCNC拠点を中心に全国あちこちでコミュニティナーシングをひろげるマットス宮本さんが、三重県桑名市でコミュニティナースユニット・SUNシャインズをプロデュースする善西寺住職の矢田俊量さんをゲストに「コンパッションとコミュニティナーシング」について対話をするという企画でした。
「看仏連携」を中心に、コンパッションとコミュニティナーシングについて、奥深く掘り下げた対談でとても印象的でした。
特に印象的だった言葉
◯コンパッションは死や喪失を「除外しない」ものである。
「除外しない」という解釈がとても腑に落ちました。
普段の生活では、幸せに「生きる」とか、「笑顔で」いるとか、
つい、生きていることを前提に考えてしまいますが、死や喪失は、皆に起こるものであり、それを除外せず受け止めるという考えはとても大切だと感じました。更に、人同士がつながっていることで、それを、共に(コミュニティで、皆で)受け止めることができる。
そして何より、これは、昔はもっと当たり前にあったものであるということを伺って、改めて地域コミュニティの重要性、尊さを感じました。
◯死を感じることで、生きるを感じることができる
「死」を起点に「生きる」を感じることができるというのは、「なるほど!」と思いました。
死について考えることで、どう生きたいかを考えられる、
とても共感しました。
だからこそ私も、
自分の心を大切にして、
「せっかくやるなら楽しもう!」
「伝えたい人に、伝えたいことを伝えたいときに精一杯伝えよう」
「これからも心身ともに健康でいよう」
と強く思い、早速日々大切にしています。
人は一人では生きていけず、死や喪失を含めて日々いろいろな経験をする。
だからこそ人と人とがお互いに認め合い、受け入れ合い、支え合うことが大切で、それもまさにコンパッションであると感じました。
出会い、関わってくださるすべての方々に感謝の気持ちでいっぱいです。今があることに感謝をして過ごしていきたいと感じました。
対話の中で出てきた問い
「自殺をする人が増え続けているのに、人の死が身近でなくなっているのはなぜ?」
コンパッションが広がり、コンパッションに触れれば、自殺も戦争もなくなるはず…
文責 運営高橋